「渋谷から渋谷への、長い道のりで」

豊田利晃監督の最新作「モンスターズクラブ」(以下MC)は2012年4月に公開された。たったの72分間に生と死、希望と絶望、祝福と呪いを無駄なく詰め込み、我々に見せ付けている。豊田の映画を構成しているものは痛みであるが、MCでは同時に何かしらの希望も示唆されていたようだ。それは、あの日以降充満している「がんばろう日本」「pray for Japan」のような類の希望ではなく、坂道の向こう側にある「楽器を見つけることができなくても」生きていくための希望だ。

我々はついに渋谷に戻ってきたのだ。どこからか。紛れもなく、豊田利晃の初監督作品「ポルノスター」の98年の渋谷からである。我々は98年の渋谷から現在の渋谷に戻ってきたのだ。「ポルノスター」は、渋谷の坂道の上での闘いの物語であった。それ以降豊田は、社会の歪みやそれに影響される家族や人間関係、そして自身を描き続けた。時には坂道の途中で立ち止まり、またあるときには全速力で下ったりもしたが、我々は再びMCで渋谷へ、そしてあの坂道へと戻ってきた。今度は坂道の上での闘いのためではなく、その向こうにある希望のために―

文化を評論することで、その時代や社会を論じるのは評論家の仕事である。当然、豊田利晃の作品から98年から2012年にかけての社会をどのように読み取ることができるか、などといったことは既に語りつくされていなければならないし、読み取ったことを今後どのように活かしていくべきか提案されていなければならない段階のはずである。それほどまでに豊田の作品群は90年代から2010年代を語るために、そしてさらに未来へ向かうために適しているのだ。ところが残念なことに、そして驚くべきことに、ほとんどなされていないではない。このままでは、我々は誰も坂道の向こうへの希望に気付けないまま、仮想敵へのテロリズムやデモ、自らの奴隷性の責任を追及・美しさを追求した果ての自殺、あるいは「がんばろう日本」のようなただの文字列でしかない呪文に埋もれていってしまう。誰もしていないことは自分がやるしかない。これが私が豊田利晃を論じなければならない理由だ。楽器を持たないものは、弟子になるのだ。

さて、それでは、98年の「ポルノスター」で渋谷から「坂道」を下った我々は、それからの14年間どのような場所でどのように過ごし、誰とどのように関係を築き(あるいは壊し)、どのように闘ってきたのだろうか。順に見ていこう。(次回続く)

 

text by手条萌